綾瀬女子高生コンクリート詰めリンチ殺人事件
犯行内容

【1】純子さんを猥褻目的で略取、監禁するに至った経緯


Aは、Cと共に、昭和六三年二月二五日夕刻、通行人からひったくりをし、あるいは若い女性を狙って姦淫をしょうとして、それぞれ原動機付自転車に乗って、埼玉県三郷市内を徘徊中、自転車でアルバイト先から帰宅途中の純子さんを認めるや、Aが、Cに
「あの女、蹴飛ばしてこい」と指示し、これに従って、純子さんもろとも自転車を蹴倒して側溝に転倒させ、その場を離れた後、Aは、なにくわぬ顔をして純子さんに近づき、言葉巧みに、
「今、蹴飛ばしたのは気違いだ。俺もさっきナイフで脅かされた。危ないから送ってやる」
などと申し向けて、純子さんを信用させ、近くの倉庫内へ連れ込み、一転して
「自分はさっきのやつの仲間で、お前を狙っているやくざだ。俺は幹部だから俺の言うことを聞けば命だけは助けてやる。セックスをさせろ」
「声を上げたら殺すぞ」
などと純子さんを脅迫して関係を迫り、同日午後九時五〇分ころ、タクシーで純子さんを原判示のホテルへ連れ込み姦淫した。
Aは、同日午後一一時ころ、右ホテルから、かねてらのたまり場になっていたCの家へ電話し、Bに
「狙っていた女を捕まえてセックスした」などと話したが、
Bが「女を帰さないでください」
などと言ったことから、Bと待ち合わせることとし、Bや、Aとはぐれて帰宅していたC、
Cの家にいたDの三名が、連れ立って約束の待合わせ場所へ赴き、Aらが連行する純子さんと合流した。
Aは、Bらに
「やくざの話で脅かしているから、話を合わせろ」
などと言い含め、らは純子さんを連れて、翌二六日午前零時三〇分ころ、原判示のI公園へ赴いた。
同所で、Aは、ジュースを買いに行くという名目で、C、同D及び純子さんのいる所からやや離れた自動販売機の置かれた場所付近に、Bと共に行き、Bに
「あの女どうする」と尋ねると、
Bが「さらっちゃいましょうよ」
などと言ったことから、Bと意思相通じて、純子さんを猥褻目的で略取、監禁することとした。
更に、彼ら及び純子さんは、公園からCの自宅近くの下の公園に移動したが、この間、Cは、A、Bらの意を受けて、純子さんを自室に監禁することについて了承し、
Dもそれまでの成り行きから、Aらの意図を了解し、かくて、ら4名は、純子さんを猥褻目的で略取、監禁することについて順次共謀を遂げ、Aにおいて、純子さんに対し,
「お前は、やくざに狙われている。仲間がお前の家の前をうろうろしているから匿ってやる」
などと虚偽の事実を申し向けて脅迫し、ら四名で純子さんをCの自宅二階六畳間居室へ連行し、同日から昭和六四年一月四日までの間、同所に純子さんを監禁した。




【2】 純子さんの監禁中になされた純子さんに対する強姦の犯行及び右監禁中の彼らの行為等について


前記の経過で、純子さんをCの自室に連行した後、彼らは純子さんを交替で監視することとしたが、同月二八日ころの深夜、らのほか、不良仲間のL、GがCの居室にたむろしていた際、Aは、仲間らに純子さんを輪姦させようと企て、

他の彼らや、L、Gらと意思相通じ、こもごも覚せい剤を飲み半狂乱になったように装い、純子さんに襲いかかり、
必死に抵抗する純子さんの口や手足を押さえ付け、純子さんに馬乗りになるなどの暴行を加えて、その反抗を抑圧し、
純子さんの着衣をはぎ取り、Aが、他のらやL、Gらにも裸になれと命じ、これを受けてA、B以外の者は着衣を脱ぎ捨て、G、L、Dの順に強いて純子さんを姦淫し、その際、
Aは、剃刀を持ち出して純子さんの
陰毛を剃り 、更に、その
陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱 に及び、
純子さんが熱がるのを見てらで打ち興ずるなどした。

同年一二月上旬ころ、純子さんが逃走を試み、警察への通報を図ったことに腹を立て、
A、B、Cが
純子さんの
顔面を手拳で多数回にわたり殴打し
Aが純子さんの
足首にライターの火を押し付け、火傷を負わせる などした。
彼らは、この後も、時に、その不良仲間を加えるなどして、
純子さんを
全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせたり
自慰行為を強要 したり、
純子さんの
顔にマジックペンで髭を描 いて興じたり、
純子さんの
陰部に鉄棒を挿入して何回も出し入れしたり
肛門に瓶を挿入 したり、また、
シンナーを吸引 させ、
ウイスキー、焼酎 などの 一気飲みを強要 し、
寒気の厳しい夜中、純子さんを半裸体でベランダに出し、
牛乳、水などを多量に飲ませ、
煙草を二本一度にくわえさせて吸わせる など度重なる暴行、凌辱を繰り返した。
同月中旬から下旬にかけてのころ、Aが純子さんのこぼした尿を踏んだということを口実に、
B、Cにおいて、純子さんの
顔面等を手拳で多数回にわたり殴打し
純子さんの顔面が腫れ上がり変形したのを見て、彼らは、
「でけえ顔になった」などと言って哄笑した。
暴行の場には、Aはいなかったが、翌日、Cは、
「あんまり面白いからAにも見てもらおう」
などと言って、自慢気に、Aに純子さんの顔を見せた。
Aは、その変りように驚いたものの、自らも、これに触発されたように、純子さんを多数回殴打するとともに、
太腿部、手の純子さん等に
揮発性油を注ぎライターで点火 し、 火が消えると更に同様の行為を繰り返し 、純子さんに火傷を負わせた。
このころ、純子さんは、度重なる暴行に耐えかねて、
もう殺して 」などと哀願することもあった。

Aらは、同月中旬ころから、主にFに純子さんの監視役をさせるようになったが、そのころから純子さんは少量の食物しか与えられず、

更に、同月末ころには、わずかの牛乳を与えられる程度になり、
栄養障害とらの度重なる暴行により、
心身ともに極度の衰弱状態に陥り、
食欲も減退し、
顔面は腫れ上り、
手足等の火傷は膿み爛れて異臭を放つなどし、
階下の便所へ行くことも困難で、
終日監禁場所であるCの居室で横臥している状況であった。



【3】純子さんに対する殺人の犯行について


昭和六四年一月四日、Aは、前夜来から当日早朝にかけて行った賭け麻雀に大敗した後、D方に赴いたところ、B、CらがDと共に居合わせた。
らは、同所でファミコンゲームなどをして遊んだが、Aは、麻雀に負けた鬱憤を純子さんへのいじめによって晴らそうと考え、
「久し振りに、純子さんをいじめに行くか」などと言い出し、
まず、C、Dを先にC方へ行かせ、若干遅れてBと共に自らもC方へ赴いた。
彼らは、このようにして相前後して、C方に集まったが、純子さんは、彼らの暴行等により変形するほどに顔が腫れ上り、手足等の一部は焼け爛れて化膿し、栄養障害に陥り、極度の衰弱状態で横臥していた。
A、B、Cは、午前八時ころから、Cの居室において、純子さんに対し、B羊羹を与え、これは何だと問い、被害者がB羊羹と答えると、何でBを呼び捨てにするんだなどと因縁をつけ、
再び同様の質問をし、純子さんがB羊羮さんと答えると、何で羊羮にさんをつけるんだなどと詰り、純子さんへのいじめを開始し、
A、B、Cにおいて、純子さんに対し、
顔面等を多数回にわたり手拳で殴打し、
背部を足蹴りするなどの暴行を加え、
A、Bにおいて、Aが
いじめの小道具に買い求めていた蝋燭に点火し、
純子さんの
顔面に蝋を垂らして、顔一面を蝋で覆いつくし、
両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てるなどして打ち興じたが、
純子さんは、これに対して、
ほとんど反応を示さず、されるがままになっていた。
Dは、暴行の始め、Fと共に隣室にいたが、このころAの指示を受けたCに呼ばれて、室へ入り、他のらと合流した。
Aは、
衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできない純子さんが、
飲料パックに排出した尿のことについて、わざと、
「やばいよ、そんなものを飲んじゃあ」などと言って、B、Cらに対し、暗に純子さんに右尿を飲ませるよう示唆し、これを受けてB、Cらは、
純子さんに、飲めと強く言って、右パック内の
尿をストローで飲ませた
次いで、B、Cが、純子さんの
顔面を回し蹴りし
純子さんが
倒れると無理やり引き起こして、更に蹴りつけるなどしたところ、
純子さんが何ら
身を守ろうとしないうえ、不意に転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こすなどした。
らは、遅くとも、このころまでには、このまま暴行を加え続ければ純子さんが死亡するかも知れないことを認識したが、その後も、純子さんが死に至ることの危険を認識しながら、
B、Cにおいて、転倒した純子さんを殴打し、蹴りつけるなどしたのを始めとして、
更に、純子さんに対し、以下のような激しい暴行を加え続け、そのため、
純子さんは
鼻口部から出血し
崩れた火傷の傷から血膿が出、
血が室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。
Dは、素手では、
血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、ガムテープでこれを留めたうえ、手拳で純子さんの腹部、肩などを力まかせに数十回強打し、
A、B、Cらもこれに倣って、拳をビニール袋で包み、次々に純子さんの顔面、腹部、太腿部等を手拳で殴打し、足蹴りするなどし、更に、
Aが、鉄球を含む
総重量が約一・七四キログラムもあるキックボクシング練習器の鉄製脚部を持ち出し、その鉄球部分でゴルフスイングの要領で純子さんの太腿部等を力まかせに多数回にわたり殴打し、
B、C、Dらも、これに倣ってこもごも純子さんの太腿部等を右鉄球で数十回殴打し、Dは、
肩の高さから右鉄球を純子さんの腹部めがけて二、三回落下させた。
Aは、
繰り返し揮発性油を純子さんの太腿部等に注ぎ、ライターで火を点けるなどしたが、純子さんは、最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、やがて、ほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。
右の一連の暴行は、当日の午前八時ころから同一〇時ころまで、
約二時間にわたって間断なく続けられた
このようにして、らは、純子さんに原判示のとおりの重篤な傷害を負わせ、そのころから、同日午後一〇時ころまでの間に、原判示の経過で、純子さんを死亡させて殺害した。



【4】死体遺棄の犯行について

A、B、Cは、同月五日、らが出入りしていた暴力団関係者の経営する花屋「J」にいた際、Fから純子さんの様子がおかしいとの電話連絡を受けて、Cの居室へ赴き、純子さんが前記の暴行により死亡していることを知ったが、
犯行の発覚を恐れ、同日午後六時ころ、Fと共謀のうえ、死体を遺棄しようと企て、純子さんの死体を毛布で包み、大型の旅行鞄に入れてガムテープを巻きつけ、
Aが、かつての仕事先から貨物自動車を借り出したり、セメントを貰い受け、近くの建材店から砂やブロックを盗み出し、
自動車で純子さんの死体と付近で取ってきたごみ入れ用のドラム缶を同方前に運び、
同所でコンクリートを練りあげ、純子さんの死体の入った鞄を右ドラム缶に入れたうえ、
コンクリートをドラム缶に流し込み、更にブロックや煉瓦を入れて固定し、ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せ、ガムテープで密閉した後、
A、B、Cが、同日午後八時ころ、右ドラム缶を積載した貨物自動車で、
原判示江東区内の工事現場横の空地へ至り、同所に右ドラム缶を投棄し、純子さんの死体を遺棄した。
反省のなかった加害者たち
公判でAは、
「いま思えば、
人間だと思っていなかったですけど、そのころは、そういう人間とか、そういうものも考えてなかったです。死んでいるのを見ても、ああ、やっぱりこれがあいつの運命だったんだなぁと思った」と証言。
 同じくDは、
「やってるときは、
何も思ってないです。そして、やり終わったあとも思ってないです」と証言した。
少年Bの担当した弁護士の伊藤芳朗氏は
「初めて接見した時、
は『彼女はかわいそうだったけど、遊んでやったんだからいいじゃない
と開き直っていました」と述べている。



東京高裁の判決は「一連の犯行の常軌を逸した悪質・重大性、各被告人の果たした役割、加害行為の態様、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響の大きさ(略)」としながらも上記の判決に終わった。


尚、東京高裁において被害者感情については
母は、悲嘆の余り、病に倒れ、今日においても、なお神経科に通院加療を続けている状況である。
手塩にかけて育て上げてきた一人娘を卒然として手許から取り上げられ、不安焦燥に居たたまれない長い日々を送らされた挙句、無惨にも娘を殺害されるに至った両親ら遺族の被害感情は、極めて厳しく、被告人らに対し、
激しく厳罰を求めており、父は、当審証言においても、被告人らに対する原判決の科刑は余りにも軽過ぎるとして、強い不信と不満の情を切々と吐露している。

東京高裁の記録による賠償について

主犯Aの両親は、5000万円を贖罪のため被害者の遺族に提供した。

副主犯Bの親は、賠償金の積み立てを続け、東京高裁平成3年7月現在では161万円余に達している。(遺族は、その受領を拒絶している。)

Cの両親は自宅を売却し、
その中から1000万円を
Bの親はアルバイトをして賠償金として提供するため積み立てていた65万円
(遺族は、受領を拒絶している。)
尚、C母尾親は被害者の自宅へ電話をしているが
偽名をつかっている。
このため被害者は偽名を頼りに捜索をしたという経緯がある。
何故、偽名を使ったのか?
返えってもらうつもりなら偽名を使う必要がない。
子供の暴力を恐れていたのなら監禁されていたと認識していたのではないのか?
純子さんを帰すようCの父親がいったという
返すということは自分の意思で帰れない事を知っていたのではないか?
捜査はどのようになっていたのであろうか?
情報がないので事実がわからないが、この両親の事は被害者遺族も相当に思うところがあったのではなかろうかと想像してしまう。

Dの賠償は記載されていない。


主犯Aの両親以外の賠償には、これだけの残虐・非情な事件に対して、被害者遺族の気持ちとしては誠意が感じられなかったのではないだろうか。
かたくなに拒否している遺族の感情は察するに余りある。


加害者側の賠償は、誠意ある態度が必要である。
一人死ぬと幾らという相場ではなく、加害者側の誠意を示すよう指導して欲しかった。
刑が軽くなるよう反省するポーズも結構だが、償いを怠るようでは事件を解決したとは言いがたい。
事件は裁判だけではないのである。
一番大切なことは被害者と加害者が向き合い、遠い将来被害者遺族が加害者を許せる気持ちになるようにすることである。
賠償だけでも誠意ある対応を加害者の保護者へ強く要求するべきだった。
少なくともこの事件は、事例、判例、相場、が通用する事件ではないからだ。
感情論は危険であると主張する人がいるが、加害者へは情状酌量という言葉がある。
これは反省していているとして当判決の中でも言われている。
この情状酌量というのは感情論ではないのか?
加害者には感情論が通じて、被害者へは感情論は危険だというのは道理に合わない。
東京高裁では副主犯Bにも
弁護人の熱心な指導を受けて、勉学、読書、写経などを続け、いっそう内省を深め、成長の跡が相当に窺えることなど、同被告人のため斟酌できる事情もある。
しかし、副主犯Bは出所後監禁傷害という再犯を犯している。
さらにこの事件の際は、本事件を脅し文句にしている。
反省していなかったと言う証明になっただけだ。
そもそもこれほどの残忍極まりない事件を起こした17〜18歳の男が、生まれてからそれまで17年程度の実刑でも反省できるか疑わしい。
まして、捕まったら一冊の本を読んで改心しただのとまじめに主張するほうがおかしいのではないだろうか?

少年法の壁があり、本事件でも犯行内容から見て、また、社会正義という観点から見ても刑量が軽すぎたことは自明の事である。

被害者が監禁されていたことを100人程度が知っていたという。
監禁されていたCの家の両親はCの家庭内暴力のため監督不能であった。
同じ家の2階の部屋で、41日間も連日連夜暴行が行われていても両親は気がつかなかったという。
警察に助けを求めても、少年Aが逆探知の電話をごまかして、警察が理由あって踏み込んで確認までしなかったという。
常識的に見れば助けられていて当然のような事件ではないのか?と思う。
殺害までの経緯で、被害者に対して誰もが善意を感じられない。
そして、司法判決は遺族の強い厳罰への感情に充分応えるられるものではなかった。
少年法の壁を踏まえてみると、これでも重量刑なのかもしれない ・ ・ ・ ・ ・
そして、賠償についても前述の通りである。

今、この事件の内容を聞いて被害者と被害者遺族へ悪意を持つ人はいないだろう。
しかし、このときはすべてが被害者、被害者遺族にとって善意に対応されたとは言いがたい。
Cの母親が少女がタバコを吸っていたと強調しているためなのか?
(タバコを2本すわせるのを拷問にしていたのだが?)
当初はマスコミも被害者のデマ記事まで流した。
立場上色々な人が関与しており、裁判は加害者関係、加害者の弁護人だから仕方がないが、誰かが被害者感情を配慮して欲しかったと思う。

まことに無念極まりない事件で、忘れることができない。
少年法堅持を主張する方々の反論を是非聞きたいものだ。

裁判長 柳瀬 隆次 
裁判官 宮嶋 英世
裁判官 中野 保昭
Aの弁護人 近藤 文子
神谷 信行
Bの弁護人 羽賀 千栄子
伊藤 芳朗
大沼 和子
菅野 庄一
Cの弁護人 荒木 雅晃
岡   慎一
吉村 清人
黒岩 哲彦
Dの弁護人 清水 勉
田中 裕之




LYNCH LAW−リンチ殺人−

東京高裁判決
回廊女子高生コンクリート詰め事件
「東京足立区綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人」我が国史上最も凶悪かつ残酷な事件
東京都綾瀬女子高生コンクリート詰め事件 2ちゃんねる

葵さんという方が少年事件の残忍さに怒り、実名で犯人を好評しています。
少年法では現在成人していても実名公開は問題なようですので、見る見ないはこのHPでは関知いたしません。
クソガキどもを糾弾するホームページ

当時の新聞ではこんな内容だったので事件の残忍さはあまり知られていなかった。
当時の新聞内容
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